2022年06月23日

水盆

水盆

梅雨って感じのお天気が続きますね。
皆さん、いかがお過ごしですか?
梅雨時期は体も心も鬱々としやすい時。
皆さん、どうぞご自愛くださいね☆

先日、お客様から紫陽花を頂いたので
久しぶりに水盆を作ってみました(写真)。
タイにいた頃も作ったりしてたけど、
水盆はやっぱり涼しげでいいですね。
色の濃淡が日本ぽくて好きです。
東南アジアの鮮やかな水盆も好き。
お花はやっぱり癒しですね。
しばらくは皆さんをご一緒に
お出迎えしたいと思います。

梅雨はジメジメで体も心も鬱々しがち。
空気中の水分が増えるせいか?
体はむくむし、気分はウエットになりますね。
とは言え、それは季節に左右されている
とも言えるけど、自分が作り出している世界です。
そのことに対して瞑想的になるならば
体と心の不調が気づきのきっかけです。
いかに自分の条件付けのパターンから外れて
心地よいパターンに乗っていくか?
人はみんなそれぞれ既に自由だし、
各々が好きにするのが良いと思いますが、
とにかく心地よくいたいですね。
気づきこそが癒しと思う今日この頃。
私も古いパターンから外れて体も心も
より自由により解放されて行きたいと思います。
何せすぐ疲れちゃったり気落ちしたりするので笑。
一朝一夕でそうなるものではないですが
気長に向き合っていきたいと思います。
皆様に良い施術お届けする為にも
まずは自分が精進ですね。
それにしても、やっぱり梅雨は鬱陶しい笑。
雨と共に要らないものすべて流していきましょう。
私の敬愛するOSHOの一文が
目から鱗だったので皆様にもシェア。
ご興味ある方はご覧頂ければ幸いです。

皆さん、心地よい梅雨をお過ごしくださいね☆

以下転載

あなたが瞑想的になると、
肉体は今のあなたには
想像もつかないほど敏感になる。
私たちは決して
正確には聞いていないし、
正確には見ていない・・
中途半端だ。
あなたは庭を通る。
見ているようだが、
ぼんやり眺めているだけで、
見てはいない。
眼が鈍感になっている。
あなたが眼と闘ってきたからだ。
肉体が鈍感になっている。
あなたが肉体と闘ってきたからだ。
文化全体が肉体を敵にまわしている。
この文化のすべてがだ・・
東洋の文化であろうが
西洋の文化であろうが違いはない。
この惑星の上で発展してきた文化は、
ある意味で病んでいる。
それは肉体を敵にまわしている。
だが、
肉体は大いなる神秘だ。
肉体を敵にまわすことは、
宇宙に敵対することだと言ってもよい。
肉体は小宇宙だ。
宇宙との絆、
宇宙への橋、
宇宙に到達するための道具は
肉体を通してもたらされる。
肉体は、
まさに途上にある駅だ。
だから、
肉体と闘ってはいけない。
どれが肉体の記憶で、
どれがマインドの記憶であるかを
常にはっきりと識別しなさい。
空腹は肉体の記憶であり、
知ることができる。
だが、
マインドにも独自の記憶がある。
それは実存的なものではない。
実のところ、
それには生存に関わる価値がない。
肉体の記憶には
生存に関わる価値がある。
そこが二つの記憶の基本的な違いだ。
肉体の記憶を否定し、
それと闘えば、
生き延びることができない。
だが、
心理的な記憶には、
実際には生死に関わる価値がない。
それらはたんなる堆積物、廃棄物・・
溜まってきたら捨てねばならないもの、
持っていれば重荷になるだけだから、
捨てる必要があるものだ。
だが、
こういったマインドの記憶もまた古く、
歳を経ている。
あなたが腹を立てるときには、
常に二つの可能性がある。
それは肉体の記憶かもしれないし、
マインドの記憶かもしれない。
肉体の記憶と
マインドの記憶のあいだに
一定の区別を設けなければならない。
あなたの怒りに
生存に関わる価値があり、
それなしでは
生き延びることができないとしたら、
それは肉体の働きだ。
だが、
あなたの怒りに
生死を決する価値がなければ、
それはたんなるマインドの習性、
マインドの機械的反復にすぎない。
そういう場合はマインドの記憶だ。
何度も何度も腹を立ててきたので、
それが
あなたの条件づけになってしまっている。
誰かがあなたを、
あなたのボタンを押すたびに、
あなたはまた腹を立てる。
ちょっと、
それに気づいてごらん。
心理的な怒りや
習慣的な怒りを
一度も起こしたことのない人・・
そういう人の肉体的な怒りには
独自の美しさがある。
それは決して醜くない。
それはその人が
死んでいるのではなく
生きているという証にすぎない。
習慣的に
腹を立てれば立てるほど、
肉体的な怒りを起こせなくなる。
そうなったら、
あなたの怒りは醜いだけだ。
それから得られるものは何もない。
あなたと他人をかき乱してゆくだけだ。
別の角度から
それを理解することもできる。
例えば、セックス。
セックスは肉体の記憶でもある。
その場合には生存に関わる価値がある。
だが、
習慣から生まれた
精神的、知的な
セックスにすぎない場合もある。
そのときには生存に関わる価値はない。
たんなる
習慣的なパターンに陥ってしまったら、
セックスは醜いものになる。
そこには愛もなければ、
美しさもない。
音楽もなければ、
より深い感応もない。
セックスが
知的なものになればなるほど、
肉体はいっそう
そのなかに参与しにくくなる。
セックスについて
考えれば考えるほど、
セックスの真の姿、
その最も深い神秘はわからなくなる。
マインドは
セックスについて考えつづけ、
肉体はそれに従わなければならなくなる。
いつであれ
肉体がマインドに従うとき、
そこには生命がない。
肉体は鈍重なおもりのように
ただ引きずりまわされる。
何に対しても・・
セックス、怒り、貪欲、
何であれ・・
そこに生存に関わる価値があるかどうかを
常に識別するがいい。
そこに生存に関わる価値があるなら、
戦わないことだ。
それがたんなる
精神的な習慣にすぎなければ、
醒めているがいい。
私たちの過去のあらゆる行為からなる
この知的な記憶は、
条件づけられたものになっている。
あなたは延々とそれをくり返し、
まるで機械のように行為する。
これを意識していなさい!
怒りに
マインドが介入しなければ・・
その怒りがある状況に対する
全一な感応、
身体全体の感応にすぎず、
そこに前からある
知的な条件づけがなければ・・
そのときには
後悔がないことを知って驚くだろう。
あなたはその状況の下で、
状況が求めるままに全一に行為した。
そのときには、
後悔する必要はまったくない。
さらにもうひとつ・・
後悔がないときには、
心理的な蓄積は起こらない。
何ひとつあなたの習慣にはならない。
何も蓄積する必要はない。

Osho - I Am The Gate

水盆タイ古式Narayana 053-473-9013
https://narayana-narayana.jimdofree.com
営業時間 12:00~23:00
火曜定休 要予約/不定休有
静岡県浜松市中区萩丘4-14-18




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